10km自己ベスト(42:03)の翌日に42:34を記録!強い精神力が身についた!
自己ベスト翌日に、再度10km 42分台を記録できました!
本日のランニングの記録です。昨日、大幅自己ベスト更新で10km 42:03という記録を出しましたが… 本日もソレに近い42:34という好記録で走ることが出来ました!これは非常に嬉しいことだと思っています!なぜなら、自己ベスト後というのはどうしても気が抜けてしまうからです。
パワーブリーズ(POWERbreathe)!オススメの呼吸筋強化ツール!3個目買いました!
最近思うこと。心肺系といっても、「心臓力」と「呼吸力」には差がある><
最近、高負荷トレーニングをしていて思うことがあります。それは、「心臓力」と「呼吸力」は違うということです。よく、「心肺系能力」と括られるため、心臓の力と肺の能力は近いと思いがちですが… やっぱり差があるんですよね。心拍数はあまり上がっていないのに、息が切れていることが度々あるんです。心臓は余裕でも、呼吸が間に合っていない感じです…
こういった体験が最近多かったため、「呼吸系を鍛えないと」と強く思っていました。そこで!久しぶりに新しいものを買ってみました。昔も使っていた「パワーブリーズ(POWERbreathe)」です!これが3個目になります!
心臓は運動しないと鍛えるのは無理ですが、呼吸系ならこの「パワーブリーズ(POWERbreathe)」で家にいながら強化することができるはずなんです!以前にもレビューしましたが、改めて少しご紹介させて頂きます!
注意!「距離信仰」宗教は勧誘/誘惑が満載です!
「距離信仰」宗教は良くないものだけど… 色んなところに「距離信仰」となってしまう罠がいっぱい><
前回記事で、「距離信仰」が良くないと思う理由について記述させて頂きました。簡単にいうと、速くなるために練習をするのに、そもそも距離を伸ばそうとするのがおかしいということです。走行距離と練習の質は、反比例になるはず。距離ばかり追い求めると、練習の質が急激に低下するというお話でした。
しかし、世の中には「距離信仰という主教」に陥りやすい罠がたくさんあると思うんです。距離で測るのはダメとわかっていても… 気をつけていないと、その「距離信仰」に陥りやすいです。その理由/要因について、少し書いてみます!
走った距離は裏切る。「距離信仰」に物申す!
今までの経験。月間走行距離とタイムの伸びが比例した時なんて一度も無かった。
自分は2013年6月ぐらいから走り始めて、途中2年半の怪我とかありましたが、ずっと走り続けています。その経験から、強く思うことがあります。それは、「走った距離は裏切る」ということです。というより、長く走ったほうが良いという「距離信仰」が本当によくないと思っています。これは自分の経験から導き出した結論です。
コチラ、自分の最近の走行距離です。5月から走ることを再開し始めましたが、月200km程度しか走っていません。サブ3を目指している人の中では、かなり短い距離かと思ってます。サブ3目指すなら、月300kmが基本みたいな流れありますし、一般的には練習不足と言われるレベルです。
しかし、月間200km程度しか走っていませんが、10kmの自己ベストは伸び続けています。以下は怪我後、5月以降の10km自己ベストの推移を記録したデータです。5月の1時間14分というタイムから、昨日8月24日の42分3秒とかなりの勢いで成長できたと思っています。月間200kmの走行距離程度でも。というよりも月間200km程度に抑えたからこそ、この成長率が達成できていると考えています。もし300km走っていたら、こんなに記録を伸ばすのはまず不可能だったと思っています。
過去の経験をみても、長い距離を走った月で大きく成長したとはとても思えません。月間走行距離と成長度合いは、比例どころか相関もしてないんじゃないかと思うぐらいです。
トレーニング/ランニングは「身体との対話」だと思う!「何が必要か」身体に正しく伝える力が重要!
自分の中のイメージ。トレーニング/ランニングは「身体との対話」だと思っています!
ちょっとスピリチュアル的な事を言ってしまいますが、自分の中のトレーニング/ランニングのイメージについて思っていることを書きたいと思います。自分は、トレーニング/ランニングは「身体との対話」だと思っています。そして、トレーニング/ランニングでしか「身体との対話」は出来ないと思っているんです。
簡単に言うと、身体に「速くなりたいから、足の筋肉を強化しろ!」って直接言っても聞いてくれないということです。身体は言葉を理解してくれるわけではないので、そんなこと言っても、思っても伝わるはずがないんです。では、どのように身体にその要望を伝えるのか。その唯一の手段が「トレーニング/ランニング」なんじゃないでしょうか。必要なものは、実際に身体を動かすことでしか伝えられない。そんなイメージをもっています、