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走った距離は裏切る。「距離信仰」に物申す!

今までの経験。月間走行距離とタイムの伸びが比例した時なんて一度も無かった。

自分は2013年6月ぐらいから走り始めて、途中2年半の怪我とかありましたが、ずっと走り続けています。その経験から、強く思うことがあります。それは、「走った距離は裏切る」ということです。というより、長く走ったほうが良いという「距離信仰」が本当によくないと思っています。これは自分の経験から導き出した結論です。

コチラ、自分の最近の走行距離です。5月から走ることを再開し始めましたが、月200km程度しか走っていません。サブ3を目指している人の中では、かなり短い距離かと思ってます。サブ3目指すなら、月300kmが基本みたいな流れありますし、一般的には練習不足と言われるレベルです。

 
しかし、月間200km程度しか走っていませんが、10kmの自己ベストは伸び続けています。以下は怪我後、5月以降の10km自己ベストの推移を記録したデータです。5月の1時間14分というタイムから、昨日8月24日の42分3秒とかなりの勢いで成長できたと思っています。月間200kmの走行距離程度でも。というよりも月間200km程度に抑えたからこそ、この成長率が達成できていると考えています。もし300km走っていたら、こんなに記録を伸ばすのはまず不可能だったと思っています。
 
過去の経験をみても、長い距離を走った月で大きく成長したとはとても思えません。月間走行距離と成長度合いは、比例どころか相関もしてないんじゃないかと思うぐらいです。

「距離信仰」になると、無駄に長く走るようになる。それって「身体への要望の伝達ミス」になるのでは?

自分が「距離信仰」を忌み嫌うのは「無駄に走ろうとする」からです。「走った距離は裏切らない」的な考え方で、とにかく距離を伸ばそうとする傾向にあると思うんです。「努力をすれば、きっと速くなれる」という考え方で。自分も、月間走行距離400kmとかやっていたときにはそう信じていました。少しは速くなるんじゃないかなって。でも結果的に、あまり意味はなかったんですよね。。全然速くならない。
 
それは、「身体に要望をトレーニング/ランニングによって伝える」という考え方からすると、当然のことだと思うんです。長く走ることによって、身体には「長く走るための負荷」がかかります。そうすると、長く走るために必要な足の筋肉ばかりが鍛えられます。速く走るために必要な、強靭な心肺能力などはほとんど鍛えられないはずです。だって、長く走ろうとして、ゆっくり走ったら、心臓に負荷がかからないのですから。
 
「距離信仰」となり、無駄に長く走ろうとすると、「速く走りたい」という本来の目的から逸れてきます。あくまで目的は「速く走りたい」なのに、「長く走る」という謎手段にいつの間にか変わってしまうわけです。

長く走ると、疲労しやすいくなり、効率的なトレーニングが出来なくなる。

長く走ることにあまり意味がなくても、害はないんじゃないかと思う方もいると思いますが。自分は「長く走ると、疲労しやすくなり、練習の質が下がるので害はある」と思っています。月間300kmとなると、毎日10kmを休みなしで走らないといけなくなります。そうなってくると、どうしても「疲労しにくい」トレーニングになりがちです。本気で走ったら300kmなんてもたないので。
 
そうなると、心臓に負荷をかけるような高負荷トレーニングとか、質の高いトレーニングができなくなってくるわけで。ある意味で「走行距離」と「練習の質」は反比例するわけで。あまりにも走行距離が短いのは良くないですが、ある程度の「練習の質」を求めるために、ある程度の「走行距離」で留めることは必要なんじゃないかと思っています。
 
質が高い練習をするために、敢えて「走行距離に制限をかける」ような事も必要なんじゃないかと思うのです。自分は3日に1回は休むようにして、走行距離を制限し、練習の質を最大限に高められるようにしています。

「長い距離を走る」を目的にしてはいけない。「結果的に長い距離が走れた」が一番良い!

上記のような考え方から、自分は長い距離を走る「距離信仰」は本当によくないと思っています。カルト宗教並の害悪だと思っています。下手に「努力した感」「やった感」だけが味わえてしまうので、さらに悪質です><
 
自分の考えとしては「長い距離を走る」のを目的にするのは本当によくないと思ってます。距離を目的にすること自体が間違いなんです。でも、「結果的に長い距離が走れた」は良いと思っています。質の高い練習を求めていき、自分なりの練習を行っていった上で、結果的に300kmとか長い距離が走れていたとか。それだったら何も問題ないはずなんです。高いレベルになっていったら、自然とそうなっていくのではと思っています。足の耐久力も強化されていくわけですし。

 

「距離信仰」を受け入れることは、思考停止と同じ。「どうすれば速くなれるか」考えて走ろう!

最後に、もう一つおもうことは「距離信仰は思考停止と同じ」なのではないかということです。「走行距離」だけを目的にしまうと、その距離を長くすることだけを考えてしまい、「どうすれば速くなれるか」という思考さえも停止してしまいます。本当はランをしたら毎回PDCAを回して、「どうやったら速くなれるか」を考えなければいけないはずなんです。しかし、距離信仰に入ると「とにかく長く走れば救われる」的な発想で思考停止に陥ります。ある意味で「考える努力の放棄」となるわけです。これは良くないと思っています。
 
自分はランニングの醍醐味は「自分自身で考えて、試行錯誤して、タイム向上を目指すことができる」ことだと思っています。そしてこれは、ランナーの義務でもあると思っています。「距離信仰」はその義務から逃げるための一つの手段なんじゃないでしょうか。
 
とにかく、自分で考えて走ること。これが重要なはずです。それさえもせずに、ただただ何も考えずに走っただけの「走った距離」は「逃げた距離」でもある訳で。 そしたら「走った距離は裏切る」のは当たり前だと思います。
 
「裏切られないような質の高い走行距離」を刻んでいくのが、重要なんじゃないでしょうか!><


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