マラソンは「無理する競技」?でも怪我するほど「無理しちゃダメ」な矛盾
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ランニングは「無理する競技」。でも、怪我するほどは無理してはいけないという矛盾><
長年走っていると、思うことがあります。ランニング/マラソンほど、根性や努力に比例して能力が伸びていくスポーツはないんじゃないかって。バスケやバレーなんかは、ある程度身長の高さで能力が決まってしまい、努力との相関は低めのように見えます。格闘技とか、野球とかでもやっぱり才能って重要ですよね。もちろん、マラソン/ランニングもそうですが、他と比べたら、努力と非常に相関がある競技だと思うのです。努力のしがいがあるんです。
そして、マラソン/ランニングはある程度無理が必要な競技だと思っています。努力に比例する競技だからこそ、練習でも本番でも「無理」が必要なんじゃないかと。全く辛くないような程度に抑えて練習してたら、勝てませんし。
ただ、ここも難しいところで。いくらマラソン/ランニングでも、「怪我するほど無理しちゃダメ」なんですね。無理はしなきゃいけないのに、怪我するほどは無理してはいけないという矛盾… なかなか難しいところです。この境界線の判断がなかなか難しいんですよね><
「心臓への負荷」「筋肉痛」「皮膚に一時的な痛み」は無理しても大丈夫
自分の6年ぐらいのランニング経験、何回か怪我をした体験からの判断ですが… 「心臓への負荷」「筋肉痛」「皮膚に一時的な痛み」は無理しても大丈夫な痛みだと思っています。この3つは、よくあるものであり、特に無理しても大きな怪我にはなったことはないです。ただ、完全無視するということでなく、「ある程度は無理をしても良い」ということだと思っています。超絶的に痛くなったら、さすがに練習を控えたりするべきで、、、
逆に「骨に響く痛み」「靭帯に近い部分の痛み」はすぐにでも練習を止めるべきものだと理解しています。特に靭帯は、ものすごく回復に時間がかかるので、違和感を感じた瞬間に走るの止めたほうが良いものだと思います。
といっても、これらの痛みを正しく判別して、無理なのか否かを判断するってなかなか難しいことですよね><
どの痛みが「無理しても大丈夫」なのかは、自分で経験して判断できるようになるしかない!そして、「無理の範囲」はドンドン広がっていく!
上記のような痛みの基準の判断があったとしても、、、体感しただけで大丈夫かどうか判断するのは難しいと思います。そして、こういったとこにこそ「長年の経験」が活きる部分だと自分は思っています。痛みの判断は、過去の経験から探るしかないです。こういった痛みの判断は、自分にしかわからない部分があるので…。
ただ、こういった経験をつんでいくと、逆に「怪我を恐れる」傾向になっていく気がします。5%でも怪我の可能性があったら、恐れて止めてしまうようになるので… 。また、歳を取ると怪我する範囲も広がり、さらに無理できなくなります。若い時のような「無謀に挑戦する力」がなくなっていく気がします。ドンドンとやれることが狭まっていくんですよね。ある意味大人になっていくという事かもしれませんが><
「無理をしても頑張る」ことができる機会は限られる。だからこそ、無理することは幸せなんだ!
上記の様に考えていくと、「無理をして頑張る」ことが貴重な機会であることがわかります。怪我のことを恐れると、どうしてもダンダンと無理できなくなってきます。だからこそ、「何も考えずに無理をする」ことってメチャクチャ貴重な機会だと思うんです。今、何も考えずに無理して頑張れていることが、将来は怪我を恐れて出来なくなる可能性は、十分にあるんですから。
そう思うと、若い時に「無理して頑張る」って貴重な体験だと思うんですよね。今問題になっている甲子園の連投問題もそうですが、ある程度「無理できる環境」って貴重だと思うんです。一度怪我して大人になったら、絶対に出来ないような行動です。「無理して頑張る」ことは辛いことですが、今しか出来ない「無理」かもしれないんです。
だからこそ、自分も「無理にして頑張れるところは、今だけだと思って頑張りたい!」と思っています。自分はまだ、毎日高負荷トレーニングするなど、「無理できる範囲」が残っています。でも、もし一度心臓的に問題が発生したら、もう二度とこんな「無理」できなくなります。
心臓の怪我ではないですが、実際に足裏を怪我してこんなトレーニング出来ない期間を「二年半」も過ごしましたから、、、この「無理できる幸せ」を凄く感じます。
今の自分はこの「無理」が貴重であることも分かっていて、それでも「無理」ができる幸せな環境になると思っています!だからこそ、妥協せずにトレーニングを続けて「適度な無理」で自分を高めていきたいと思っています!!
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