いつか死ぬことへの恐怖「タナトフォビア」を武器にする!
最近、死についてよく考えてしまいます。ちょっと前の小林麻央さんの癌による死去などを聞くたびによく考えます。そのたびに思うことは、人間いつ死ぬかわからないということです。本当にどこで病気になり、どこで交通事故にあうかわかりません。今日生き残れる可能性は99.9999…%であり、100%なんて絶対ありえないです。また、、30歳を超えてから、寿命について特に意識するようになりました。あと半分しか生きられない、人生の折り返し地点にきているんだということをひしひしと感じてます。
人生、60年と考えていたほうがちょうどいい?
自分は60歳で死ぬ前提で生きています。そのほうが残り時間を大事にして生きられると思うからです。他の人から60歳で死ぬんかい!とよく言われますが、それぐらいで見積もっていたほうが良いかと思ってます。80歳まで生きれたらラッキーということで(笑)よく考えると生きていること自体が奇跡なんですよね。宇宙が始まって140億年と言われてますが、その歴史からしたら人間が生きれる100年なんてちっぽけなものです。極わずかな時間です。そう考えると、生きてるこの時間こそが奇跡です。
だからこそ「あと80歳まで40年以上あるからいいや」ではなく、「残りの人生、1秒でも無駄にしてはいけない」と思うのです。
タナトフォビア(死恐怖症)について
「死ぬのが怖い」ということに関して、タナトフォビアという言葉があります。「死恐怖症」です。まあ、死ぬのが怖いのは人間として当然なんですが、異常に怖がる状態のことです。自分が死んで無になることへの恐怖、寝たらもう起きられないんじゃないかと考えてしまったり、自分が死んで誰からも忘れられている状態を意識すると怖くなったり、どうせ死ぬんだからと無気力になったり、、、そんな風に死を強く意識してしまう病気です。タナトフォビアにかかると、無気力になったり恐怖心でストレスを感じて精神的な病気にかかったりもするようです。マイナス面に陥るわけです。
逆にいうと、正常な人間はそんな状態にならないために、日常では死を意識しないように明るく過ごせるようになっているのだと思います。死ぬことばかり考えていたら、まともに生きられないですからね。
自分はこのタナトフォビア(死恐怖症)にわざとなっています
自分はわざとこの「いつ死ぬかわからない、死ぬことへの恐怖」というタナトフォビアになろうとしています。それは、タナトフォビアは武器になると思っているからです。毎日、できるだけ死ぬことを考え、寿命までのカウントダウンをするようにしてます。それは、その「死への恐怖」タナトフォビアがエネルギーになるからです。毎日過ごすたび、死に一歩ずつ近づいていきます。生きていること自体がわずかな奇跡的な時間です。ですので、そういう事を意識し、今生きているうちにやりたい事をやろう!と毎日思うようにしています。簡単に言えば、明日死んでも後悔しないように毎日頑張って生きるということです。死ぬのは怖いけど、せめてやりたいことをやって、心置きなく死んでいきたいです。もし目標を掲げて成し遂げられなくても、全力でやってそれでダメであったのなら十分です。そうでなく、やらなくて後悔して死んでいくのは絶対嫌です。
人間、死を意識しすぎると、このタナトフォビアという病気のように何もできなくなってしまいます。でも死から逃げていると、なんとなく時間を過ごしてしまい、アッという間に寿命がきてしまうと思います。何もできずに。ですので、この死というものから逃げずに、自分が使える時間が有限であることを意識していきたいです。そして、死への恐怖(タナトフォビア)を自分の力に変えて、武器にしていきたいと考えております!死ぬのが怖すぎて、その力でサブスリー達成できた!とかになったら最高ですけどね(笑)
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