根性論はネガティブで、GRIT(やり抜く力)はポジティブな印象。その違いとは!?
最近、GRIT(やり抜く力)の考え方にハマっています。ハマっているというより、自分の信念と全てが一致しており、かなりの人に共感されている考え方のようなので、かなり興味津々です。いやー、GRIT(やり抜く力)って良いですね~
このGRIT(やり抜く力)、同じような考え方は昔からありました。それは「根性論」です。根性論も「何がなんでもやり抜く力」です。とにかく困ってもどうにかする力、最後に根気をだしてどうにかする力です。
でもこの「根性論」って超悪いイメージしかないですよね、、、あれ、GRIT(やり抜く力)との違いってなんだろう??ということで今回はその辺りに関する考えを述べさせて頂きます!
目次
自分は「根性論」信者。でも、根性論のイメージが悪すぎて嘆いていた
その前に、自分は根性論者です。基本は冷静に論理的に判断しますが、困ったときは「根性論」です。論理でもどうにもならなくなった時、精神力でどうにかするというのが自分のスタンスです。そして、どこまで耐えられるかは「修行」の量によるという、超根性論的な考え方です。
まあ、この根性論ですがイメージが悪すぎですよね。「頭を使っていない」「昭和的」「考え方が古すぎ」「ブラック企業」みたいな悪いイメージしか浮かんできません。
うーん、、自分の中では「根性論」は最強の武器なのに、世の中の悪いイメージとの差に悩んでいました。「とにかくどうにかするっていう意思と能力はメチャクチャ重要なのになあ」って。スポーツでも仕事でも、勉強でも。
「根性論」と「GRIT」の差、、、考えてみると、あまりない><
では、そのめちゃくちゃイメージの悪い「根性論」と「GRIT」違いは何でしょうか。考えてみると…両者とも「どこまで踏ん張れるかの能力」「スポーツ、仕事などに関係なく汎用的な能力」「最後にどんな状況でもやり抜こうとする意思」であり、基本は同じなんですよね。そして両方とも「成功者が持っている能力」だと思うんです。根性論って言い方が悪いですが、言っていることはGRITと同じはずなんです!
唯一の違い:「根性論は強制的」「GRITは自発的」
でも唯一とも言える違いがあります。それは「根性論は強制的」「GRITは自発的」ということです。根性論は、「困った時に部下に根性でやらせる」「昭和の部活みたいに、何も考えずに努力を強いる」など強制的な面が大きいと思うんです。そういうイメージかなりありますよね。
それに対して、GRITは自発的です。本の中でも、子供にGRITを強いるのでなく、あくまで「困難な状況で自分で考える機会を与えて、自発的にどうにかする能力を上げていく」と言っています。あくまで自発的なんです。
強制的か、自発的か。この差はメチャクチャ大きい!
「強制的」か「自発的」か。この差は唯一にして最大の差だと思うんです。言い換えると「他人に根性を強いるのか」「自分に根性を強いるのか」の差です。全く逆の意味になりますよね。
つまり、GRITが評価されているのは「自分自信に根性を強いる、精神力を強いる」部分にあると思うのです。それは「自分自身に対して厳しくあれるか」ですよね。この「自分に甘いか」「自分に厳しいか」って人によって大きく違うところであり、何か成し遂げた人って須らく「自分に厳しい」気がします。
まとめ:「根性論」は他人に向けるな!自分に向けろ!そうすれば最強の武器になる!
まとめです。GRITという「やり抜く力」がアメリカなど論理的な国でも評価されています。もちろん日本でも。そして似た言葉に「根性論」があります。この2つ、イメージは真逆ですが、実はそこまで大差ない意味合いのはずです。
でも唯一にして最大の差異が「強制的か」「自発的か」です。もっというと、「根性論は他人に根性を強いるもの」「GRITは自分に根性を強いるもの」というイメージです。確かに、他人に根性を強いるなんて最悪ですよね。「昔はこれが普通だったんだよ」とか言って無理を強いる人がいますが、「今は昔じゃないんだよ!」って反発されるのは当たり前の話で。
なので、「根性論」は他人に向けるのではなく、自分に向けるべきものだ!っていうのが自分の結論です。自分に根性を強いること、どんな状況でもやり抜こうとするのは、まさに「GRIT」そのものです!!
ということで、自分は自分自身に根性を強いて生きていきたいと思います!!
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