セガ ゲーム機 の年表/歴史まとめ!
2020-01-26 ゲームの歴史
- セガは任天堂の裏で、1983年頃からゲームハード機の開発に取り組んで対抗していました
- 任天堂ゲームに比べるとマイナーな扱いであり、ソフトにも恵まれず天下は取れませんでした
- 後にはSONYのPlayStationにも負けてしまう悲しい運命ですが…そのハード性能と飛び抜けた機能は驚くものがあります
- このページではそんなセガのゲームハード機の歴史を年表で振り返ってみます!
- 赤色の各項目をタップすると、詳細説明箇所にジャンプできます!
1983年7月15日: SG-1000/SG-1000II 発売
- セガ・エンタープライゼスの8bitゲーム機
- ゲームパソコンであるSC-3000をベースに、よりゲームに特化したマシン
- ジョイスティックは本体直結となっていて交換不可能
- ゲームはカートリッジ式
- ゲーム発売時期によって、色や形状が微妙に違うとのこと
- キーボードを挿入すると、BASICプログラムが動かせた、、、らしいです
- SG-1000IIはマイナーチェンジ版。ジョイパッドが2つついてくるのとデザイン以外は同じらしい
- ゲームソフトは全74タイトル、、、少ない><
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1985年10月20日: セガ・マークIII 発売
- SG-1000/SG-1000IIと互換性を保ちながら、同時発色数、スプライト、スクロール機能などを強化したゲーム機
- 発色数でファミコンに一部勝っていたが、勝つことはなかった
- 国外ではSega Master Systemとして販売された
- テレコンパックというオプションをつけると、どこでも遊べるようになるという謎の凄い機能付き
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1988年10月29日: メガドライブ 発売
- 某テレビ番組でセガの黒歴史扱いされていたハード機
- 他社に先駆けて16ビットCPUを搭載。その機能は半端なかった
- 名前は容量1Mビットのカートリッジをドライブするというところから
- ソニック・ザ・ヘッジホッグのヒットにより北米では大きく普及した様子。日本ではやっぱりファミコンが強かった、、、
- メガモデム(インターネット機能搭載)、メガCD、スーパー32X(32bit機に変身させる)など様々なオプションをだしたが、そのオプション製品自体が高額で日本ではあまり普及せず、、
- そうやっているうちにセガサターンの時代へ
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1990年10月6日: ゲームギア 発売
- 据置機のセガ・マークIIIと同等の性能をもっていた
- ゲームボーイとは一線を画するカラー液晶を採用。しかしバックライトに電力が必要であり、アルカリ乾電池6本で約3時間程度の稼働という恐ろしい状態だった
- TVチューナーパックをつけると、テレビも見ることが出来た
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1994年11月22日: セガサターン 発売
- PlayStationやNINTENDO64と同じ、「次世代ゲーム機」世代
- 32bitゲーム機に進化することにより、3Dゲームの開発が可能に。表現の幅が広がる
- ただし、その3D表現はCPUに頼っていたようで、競合機よりもやや劣っていた様子
- セガサターンをベースに、映像やオーディオ再生機能といったマルチメディア機能も強化された機種も登場。日本ビクターからは「Vサターン」、日立からは「ハイサターン」が発売された
- 代表ゲームはバーチャファイター2でミリオンセラーとなった
- しかし、競合機であるPSと比べて、FFなどのキラーソフトがなく、マニアックな雰囲気があり、売上では勝てず、、、
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1998年11月27日: ドリームキャスト 発売
- セガの最後の夢。ドリームキャスト
- インターネット通信用モデムを標準搭載し、標準でwebが見られるという優れた機能をもっていた
- 湯川専務を使ったユニークなCMも話題に
- シーマン、バイオハザードなど小規模で売れたソフトはあるが、最後までキラーソフト不足で売上は伸びず
- PS2が後方互換性を持っていたのに対して、ドリームキャストはセガサターンと互換性を持っていなかったことも傷に
- 最終的に2001年1月にドリームキャスト生産中止とPlayStation 2や任天堂のゲーム機にソフトを供給することが決定…
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